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東京高等裁判所 昭和48年(行コ)4号 判決

控訴人 K・S(仮名)

被控訴人 京橋税務署長

訴訟代理人 中島尚志 岡田武夫 ほか五名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人に対して昭和四二年一〇月三〇日付でした昭和四一年分所得税の更正および過少申告加算税の賦課決定を取り消す。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張ならびに証拠の提出、援用および認否は、つぎのとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

(一)  本件の財産分与は夫婦共有財産の清算であつて、特有財産の譲渡ではなく、何となれば、夫婦間において特有財産があるとすれば、それは、その者が婚姻前に取得したか他から相続したものに限られるべきであるところ、本件分与財産は婚姻中に取得されたものであるから本来共有であつたものである。しかも、所得税法三三条一項は、同法の規定の仕方からみて、有償譲渡の場合にしか適用されないと解すべきであり、それを形式的には無償譲渡にあたる本件の財産分与に適用することは許されない。本件の財産分与が債務の弁済であり、したがつて有償の譲渡であるとする見解は民法七六八条の解釈を誤つたものである。すなわち、財産分与の審判ないし調停の性質は形式的形成的なものであつても、その本質は夫婦財産の価値的割合の確認、分割であつて、具体的には当事者双方がその協力によつて得た財産の額その他一切の事情を考慮して分与させるべきか否かならびに分与の額および方法を定める(民法七六八条三項)のであり、これは当事者間の協議においても妥当することであつて、分与額を定めるについては、特有財産の有無および価値、態様等も当然に右一切の事情として考慮の資料となつており、特有財産の価値も評価し斟酌されて分与額は決定される。したがつて、財産分与制度のフイルターを通して所得たるべき利益ないし価値は分与額に組み込まれてしまつているのであつて、分与者に課税することは二重の負担を強いるものである。それゆえ、分与の方法として不動産の譲渡の形式をとつていても、有償の観念をいれる余地はないといわざるをえず、本件の財産分与は所得税法三三条一項の「資産の譲渡」には該当しない。民法七六八条は単に手続的な規定ではなく実体的な性質を有し、財産分与制度と税法とは法的観点を異にするとはいえ、全く無関係とはいえず、税法を杓子定規に適用することは租税負担の公平を損う。

(二)  つぎに、わが民法は夫婦財産関係について共有財産制をとつており、別産制をとつていると解すべきではない。すなわち、民法七六二条は、夫婦の財産に関し、動的安全の見地から第三者に対する関係を規定したものであることは、とくにこのような規定の設けられたこと自体からあきらかである。もしそうでなければ民法の他の規定によつて十分だからである。換言すれば、夫婦間の権利関係については本条の適用はなく、その実質に即して決定されることを意味するもので、これは憲法およびその他の法令の夫婦平等の原則からの当然の帰結であり、夫婦別産制をとつているとの解釈はこの原則に反する。財産分与、相続、遺贈等は婚姻関係解消以後の事後的手当であつて、それらの制度があるからといつて、夫婦の実質的平等が婚姻中にきかのぼつて確保されるものではない。夫婦平等はまず第一に婚姻中に保障されていなければならず、なかんずく、重要なのは婚姻中における財産の帰属である。

(三)  財産分与者に譲渡所得税を課することは税の公平負担の原則に反する。この点に関する理由は第一項でも述べたが、離婚に伴う財産分与について、財産形成への配偶者の寄与貢献度を考慮して、財産分与により不動産を取得した配偶者について贈与税の納税義務は発生しないものと解され、実務上もそのように取り扱われているが、これが正しいとすれば、財産分与者に譲渡所得税を課することは背理である。そうでなければ、これは分与者が婚姻中財産的に有利な立場にあり、被分与者は不利な立場にあつたことを前提とするが、被分与者に対する施しであるということを暗黙のうちに認めるものであつて、その不当性を財産分与の補償的機能という名目(債務の弁済)で隠蔽する理論にすぎず、いずれにしても夫婦平等の原則とは相いれない誤つた理論であり、憲法二四条二項に反する。

なお、夫婦の財産関係は継続的包括的なものであつて、その都度債務関係としてとらえられるものではない。そして、離婚は夫婦という一つの単位細胞が壊れてしまうのではなく二つに分裂することであつて、婚姻関係の発展的解消であり、二つの新細胞が均等分割するか不等分割するかの問題である。その際、各細胞液の移動を分析することは観念的な間題であつて、実質的、現実的な問題ではない。離婚を壊れて死んだ細胞としてとらえ、その細胞液の分析(特有財産であるか否か)に拘泥するあまり、財産分与の本質を看過してはならない。この意味においても、財産分与を所得税法三三条一項の「資産の譲渡」にあたると解するのは誤りである。

(被控訴人の主張)

(一)1  譲渡所得の本質については、資産の取得時から譲渡の時までの期間内に、経済的事情の変化等によつてその取得資産の価値が増加した場合、その増加価値部分を譲渡価額と取得価額との差額によつて認識し、その資産を譲渡した時に課税するものであつて、いわば資産の所有期間内の価値の増加に対する清算課税であると解されている。

2  そして、所得税法三三条一項は、資産の譲渡(建物または構築物の所有を目的とする地上権または賃借権の設定その他の契約により他人に土地を長期間使用させる一定の行為を含む)による所得を譲渡所得と規定しているが、この資産の譲渡とは、相続以外の原因で、財産、権利、法律上の地位などをその同一性を保持しつつ他人に移転する一切の場合をいい、現実に対価の受入れを伴う売買、交換等のほか、債務の履行として、あるいは債務の履行に代えて資産の移転があつた場合も、右資産の譲渡に含まれると解されている。つまり、所得税法三三条一項に規定する資産の譲渡に債務の履行として、あるいは債務の履行に代る資産の移転があつた場合を含めたのは、けだし、この場合と、債務の履行のために資産を処分し、その処分によつて得た金銭をもつてその債務の弁済に充てた場合とでは、単に債務を現物で弁済したか、金銭で弁済したかの相違があるだけで、債務の消滅という経済的利益を得たことにおいてはなんら変りがないところから、その経済的利益に課税しなければ、資産を他に譲渡し、対価として取得した金銭で債務を弁済した場合との間に著しく課税の公平を欠くと考えられたからである。

したがつて、所得税法三三条一項に規定する譲渡所得は、現実に対価を得てなされる譲渡またはこれと実質を同じくする譲渡の場合において、その資産の所有者に帰属する増加益を課税対象としているといいうる。

3  ところで、離婚に伴う財産分与は、協議による離婚の場合には、これが成立すると当然に一方の分与請求権が生じ、この分与請求権にもとづいて当事者間に協議またはこれに代る家庭裁判所の処分によつて、分与を認めるか否か、認めるとしてもその場合の額および方法等が、婚姻中における共同生活、つまり、同居、協力、扶助の関係や離婚に至らざるをえなかつた事由その、他各般の具体的事情を総合勘案の上、相手方に慰籍料、扶養料などの名目による金銭の支払義務と財産分与請求権に対応する財産を分与すべき義務のあることを認め、これを履行することによつて当事者間の一切の権利義務の関係を清算するものであるから、財産分与の性質は、離婚をした者の一方から相手方に対する債務の履行であると解されている。

そして、被控訴人は、離婚に伴う財産分与の右性質にてらして、本件の財産分与は、控訴人の有する資産を債務の履行として現物で弁済したものであり、しかも、それによつて債務が消滅するという経済的利益を得ているところから、所得税法三三条一項に規定する資産の譲渡に該当すると認定したものである。

(二)  控訴人は、財産分与制度のフイルターを通して所得たるべき利益ないし価値は分与額に組み込まれてしまつているのであつて、分与者に課税することは二重の負担を強いるものであると主張する。しかし、所得税法三三条一項の趣旨および離婚に伴う財産分与の性質は前述のとおりであつて、離婚をした者の一方から相手方に対する債務の履行として特有財産を相手方に引渡すことになつたとしても、それは民法七六八条にもとづく帰結であり、租税面の観点から所得税法による課税が別途なされることをもつて二重の負担を強いるというのは、二重の負担という言葉の意味を不当に拡大するものである。すなわち、特有財産を分与すれば、分与者が負担を感ずることがあるかもしれないが、それは夫婦間の権利義務関係の清算過程において、私法上の効果からの帰結であり、当事者間の離婚という事実から生ずるものであつて、国が一方的に強制するものとは異なるのである。控訴人の主張は、民法と所得税法という趣旨、目的を根本的に異にするものを同一平面で論じようとするものであつて、あきらかに失当である。

(三)1  探訴人は、わが民法は夫婦の財産関係について共有財産制をとつているのであつて別産制をとつているのではないと主張する。しかし、現行民法が夫婦財産制について別産制を採用しているものであることは最高裁昭和三六年九月六日大法廷判決からもあきらかである。ちなみに、別産制のもとにおいては、配偶者の労働力の評価が不十分で、婚姻における男女平等が実現されないとして、右に反対する見解が展開されているが、これらは、結局、夫婦財産制についての基本的な考え方の相違にもとづくものである。しかし、所得税その他の課税がいかにあるべきかは、税制の基本に関する間題として、直接的には私法の規定を離れて、もつぱら負担の公平を眼目とする課税理論の見地から論ぜられるべき性質のものであり、所得税法その他の税法の中に規定されている配偶者控除等の措置は私法の規定を離れて、婚姻中における配偶者の労働力を評価しながらも、婚姻中の所得あるいは資産が当然に共有であるとの前提に立つものではなく、いずれも一方の名義であることによつて、対外的にはもちろん、対内的にも当該名義が単なる名義借りであることのあきらかな場合を除き、一応その名義人を所得の帰属者あるいは資産の所有者として取り扱うとともに、配偶者の置かれている個々の事情に応じた配慮を配偶者控除等として税制上採り入れているのである。したがつて、控訴人の主張は独自の見解にもとづくもので妥当でない。

2  また、控訴人は、夫婦間における相続、遺贈または贈与の場合における税法の取扱いと対比して、財産分与について譲渡所得税を課する所得税法は、税の公平負担の原則に反し、違法であるとの主張をする。たしかに、相続税法上の各種の規定(同法一五の二、一九条の二および二一条の五)は、婚姻中の財産形成に対する配偶者の寄与あるいは残存配偶者の老後の生活保障等を目的とするものではあるが、これは、婚姻中の所得あるいは資産が当然に共有であるとの前提に立つての措置ではなく、相続、遺贈または贈与によつて財産を取得した配偶者の置かれている事情を斟酌して採られた措置である。また、離婚による財産の分与によつて取得した財産については、原則として、贈与税を課税しないこととしているのは、離婚による財産分与が債務の履行であつて当事者の一方が単に恩恵を与えることを目的とする単純な贈与と同日に論ずべきではないことに基因するものである。

してみれば、相続、遺贈または贈与によつて財産を取得した配偶者に対する措置と、財産を分与した者に対し、資産の所有期間内の価値の増加に対して課税する譲渡所得とでは、その課税の趣旨、目的が異なり、控訴人の右主張は理由がないというべきである。

(証拠関係)〈省略〉

(訂正等)〈省略〉

理由

一  当裁判所は、当審における当事者双方の主張、立証の結果を考慮しても、控訴人の本訴請求を失当であると判断するが、その理由は、つぎのとおり付加、訂正するほか、原判決の理由記載と同一であるから、これを引用する。

1  (訂正関係〈省略〉)

2  原判決二五枚目-記録五〇丁-裏一行目末尾に「このことは、具体的には、〈証拠省略〉によつて認められるように、本件不動産は、控訴人が九段に有していた住居を売却した代金で購入したものであるが、右住居は控訴人が名義人となつている営業の収益で買いうけたもので控訴人の所有に属していたものであり、現に右住居を当初Hの名義としたところ贈与税を課せられたため控訴人に名義を変更するといつた出来事があつたこと、控訴人とHとは、本件不動産の購入前である昭和三〇年ころから円満を欠くようになつていたものでとくに昭和三二年ころには、Hが控訴人名義の財産を処分したりするのを防ぐために、控訴人において実印の改印をするまでに至つており、したがつて、控訴人主張のごとく、控訴人とHの年令差やHに先妻との間の子があることをおもんばかつて、実際の所有にかかわらず、名義のみを控訴人の単独所有とするような親密な間柄にあつたとは認められないことからも裏づけられる。」を加える。

3  原判決二五枚目-記録五〇丁-裏五行目の「採用できず」のつぎに「(わが民法が夫婦の財産関係についていわゆる別産制をとつていることは、すでに昭和三四年七月一四日最高裁第三小法廷判決・民集一三巻七号一〇三三頁の示すところであり、〈証拠省略〉によつて認められる各種の提言ないし主張も、現行民法が別産制をとつていることを前提にしてその改正の必要を説くものであつて、共有財産制は立法論の域を出ないものである)」を、同八行目末尾に「特有財産の譲渡であつて共有財産の分割とみる余地はないから、」を加える。

4  原判決二五枚目-記録五〇丁-裏一〇行目末尾に「いいかえれば、譲渡所得に対する課税は、資産の値上りによりその資産の所有者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会に、これを清算して課税する趣旨のもので、その課税所得たる譲渡所得の発生には、必ずしも当該資産の譲渡が有償であることを要せず、所得税法三三条一項の「資産の譲渡」とは、有償、無償を問わず資産を移転させる一切の行為をいうのである。ところで、夫婦が離婚したときに民法七六八条、七七一条によつて認められる財産分与の権利義務は、当事者の協議、家庭裁判所の調停もしくは審判等によつてその内容が具体的に確定されるが、このような手続を経て財産分与の内容が確定され、これに従つて金銭の支払い、不動産の譲渡等の分与が完了すれば、右財産分与の義務は消滅する。そして、この分与義務の消滅は、それ自体一つの経済的利益ということができるから、財産分与として不動産等の資産を譲渡した場合、分与者はこれによつて分与義務の消滅という経済的利益を享受したものということができ、したがつて、課税の対象たる譲渡所得の発生を観念するに十分である(昭和五〇年五月二七日最高裁第三小法廷判決判例時報七八〇号三七頁参照)。」を加える。

5  原判決二八枚目-記録五三丁-表一行目末尾に「控訴人は、また、財産分与の額を定めるについては、特有財産の有無および価値、態様等も一切の事情(民法七六八条)として考慮の資料となつており、特有財産も評価し斟酌されているため、財産分与制度のフイルターを通して所得たるべき利益ないし価値は分与額に組み込まれてしまつているのであつて、分与者に課税することは二重の負担を強いる旨の主張をする。しかし、仮に分与額の中に所得たるべき利益ないし価値が組み込まれているとしても、不動産等の資産を分与した者に譲渡所得税を課税する目的は、右にみたとおり、資産の移転を機会にその値上りにより所有者に帰属する増加益を所得としてとらえて清算するにあるのであつて、財産分与の目的とは異なるから、二重の負担を強いることにはならない。」を加える。

二  以上のとおりであつて、控訴人の本訴請求は失当であつて本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉岡進 兼子徹夫 太田豊)

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